妻を愛せないのが辛い。罪悪感の正体と、結婚9年目の夫がやったこと
深夜2時、隣で寝ている妻の寝顔を見て「何も感じない」と気づいたときの話をします。
嫌いではないし、感謝もしている。子どもにとっては間違いなくいい母親だ。でも、いつからか妻が、親や兄弟と同じ「家族」のカテゴリに入ってしまった。一人の女性として見る感覚が、だんだん薄れていった。好きかと聞かれたら答えに詰まる(この宙ぶらりんについては好きかわからない問題の記事で別に書いた)。そして直後に、猛烈な罪悪感が来る。「向こうは普通に接してくれているのに、俺は心の中で裏切っている」という感覚。これが一番きつかった。
「妻 愛せない」で検索すると、出てくるのは「夫に嫌われる妻の特徴」みたいな妻向けの記事か、カウンセリングや探偵の宣伝ばかりで、この罪悪感の話をしている人がほとんどいない。だからこの記事は、あの頃の自分が読みたかったものを書きます。
まず、あなたは別に異常ではない
妻を愛せないという趣旨の相談は、Yahoo!知恵袋にもOKWAVEにもあります。しかも投稿は15年以上前のものが、いまだに検索上位に出てくる。
何が言いたいかというと、この悩みは大昔から大量の夫が抱えていて、しかも誰も表で話さないから、古い匿名投稿が読まれ続けているということ。職場で「妻を愛せなくて辛い」と言える人はいない。友人にもまず言えない。言った瞬間に「最低な夫」のラベルが貼られるのが分かっているから。
愛せないこと自体より、誰にも言えないことのほうが人を追い詰めると思う。少なくとも自分はそうだった。
辛さの正体を分解する
「辛い」を放置せず分解してみたら、中身は3つだった。
1. 罪悪感
「愛してくれている相手を愛せない自分は人として欠陥がある」という感覚。これが核。
ただ、冷静になって考えると、感情は意思で起動できない。好きになろうと努力して好きになれるなら、世の中に失恋は存在しない。愛情が湧かないことは過失ではない。過失になり得るのは、そこからの行動だけ。この区別がついてから、夜中の罪悪感はだいぶ軽くなった。
2. 演技疲れ
家庭内で「妻が望む理想の夫」を演じるコスト。本当はそんな気分じゃない日も、進んで家事をやり、「おいしいね」と言い、笑顔を作り、記念日を祝う。妻が望むであろう夫を逆算して、その通りに振る舞う。一つひとつは小さいが、毎日となると確実に消耗する。家に帰る足が重いのは、妻が嫌いだからではなく、演技のシフトが始まるからだった(家に帰りたくなかった頃の話は別に書いた)。
3. 出口のなさ
愛せないまま40年続くのか、と考えたときの暗さ。離婚という単語が浮かぶが、子どもの顔が浮かんで打ち消す。この往復を毎晩やる。進まない悩みは、進む悩みの何倍も疲れる。愛せなさが寝室の冷えとして出ている人は、妻を抱きたいと思わなくなった話のほうが近いかもしれない。
自分がどれで消耗しているのか分けてみると、対処が変わってきます。罪悪感なら考え方の問題、演技疲れなら生活設計の問題、出口のなさなら選択肢の整理の問題。
なぜ愛せなくなったのか。うちの場合
一番大きいのは、身も蓋もない話だった。妻が「家族」になったからだ。
恋愛初期のあの激しい感情は、もって数年だとよく言われる(倦怠期の記事に書いた)。それが薄れたあと、妻は恋愛の相手から、親や兄弟と同じ「一緒に暮らす家族」へと位置が変わった。安心できる相手ではある。でも、ときめく相手ではなくなった。誰かが浮気したとか、ひどい言葉を投げたとか、そういう事件があったわけじゃない。ゆっくりした移動だった。だから余計に、どこを直せばいいのか分からない。
ここで一つ分けておきたい。「愛せない(家族化)」と「抱きたくない」は、自分の中では根が別だった。前者は恋愛感情の自然な薄れ。後者はもっと自分側のコンプレックスの話で、それは妻を抱きたいと思わなくなった記事に分けて書いた。外から見ると同じ「冷め」に見えるけれど、原因も対処も違う。混ぜて考えていた時期は、ずっとこんがらがっていた。
それ以外に効いた細かい蓄積もある。下の子の出産前後、自分の仕事が激務で家にいなかった時期に、妻の中で何かが締まった音がした(ように感じた)。妻の関心が100%子どもに向き、自分のほうも、いつのまにか妻を「家庭の運営パートナー」としてしか見なくなっていた。
書き出して気づいたのは、半分は自分の側の問題だということ。妻が変わったのと同じだけ、こっちも変わっていた。「妻を愛せない」と思っていたが、正確には「お互いに恋愛の対象として振る舞うのをやめた」だった。
この「お互い」に気づく前は、罪悪感の裁判官が自分一人だった。「愛してくれている相手を愛せない自分」という一方的な起訴状を、毎晩自分に読み上げていた。妻も同じだけ冷めていると分かった瞬間、起訴状の宛先が変わった。誰かを断罪する話ではなく、二人ともが同じ現象の当事者だという話に変わった。罪悪感が消えたわけではないが、独房から共同の部屋に移ったような感覚があった。
あなたの家の事情は違うと思う。ただ、書き出すと「妻が悪い」一色ではなくなる可能性が高い。それだけで罪悪感の質が変わります。そして後で書く「問いを変える」も、実はこの気づきがあったから動けた。相手も同じ場所にいると分かって初めて、「愛情の回復」ではなく「二人でこの共同体をどうするか」という問いが立てられるようになった。
試したこと。効いたもの、効かなかったもの
正直に書きます。
効かなかった: 「好きだった頃を思い出す」系のテクニック。 昔の写真を見るとかデートを再現するとか、記事によく書いてあるやつ。うちでは逆効果だった。「あの頃と今の落差」を確認する作業になるだけ。
効かなかった: 我慢して時間が解決するのを待つ。 2年待ったが何も解決しなかった。むしろ無関心が定着した。
半分効いた: 接触時間を意図的に増やす。 倦怠期の記事に書いた「夜の15分」がこれ。愛情は戻らなかったが、敵意や気まずさは消えた。会話が戻ると、少なくとも「演技疲れ」が減る。演技しなくても間が持つから。
効いた: 「愛せるか」ではなく「この共同体を続けたいか」に問いを変える。 これが自分にとっては一番大きかった。「愛してるか?」の答えはNOか保留のままだが、「この家庭という共同体は続けたいか?」ならYESと即答できた。問いを変えたら、やるべきことが「愛情の回復」から「共同体の運営改善」に変わって、急に手が動くようになった。
愛情が戻るかどうかは、正直まだ分からない。ただ「戻らないと詰み」という前提を外せたことで、辛さの総量は半分以下になった。
それでも続けているのは、たぶん自分のため
愛せないなら別れればいい、という声もあると思う。でも自分が結婚を続けている一番の理由は、子どものためでも世間体でもなかった。正直に書くと、一人になったら自分が空っぽになるからだ。
もともと欲の少ないほうで、これといって強い望みもない。それでも仕事をなんとか頑張れているのは、家族がいるからだ。守るものがあるから動ける。家族は、愛している対象というより、自分がかろうじて立っていられる支えになっている。情けない言い方かもしれないが、これが本音だ。
この「続ける理由」を自分ではっきり認めてから、少し楽になった。愛があるから一緒にいる、という建前を自分に強いなくてよくなったからだ。愛ではなく、必要だから一緒にいる。それでも家庭は回る。むしろ、そういう支え合いで成り立っている夫婦のほうが多いのかもしれない、と最近は思う。
「愛せない=離婚」ではない。選択肢は4つある
出口のなさに効いたのは、選択肢を全部並べることだった。
どれが正解かは家庭によるので書きません。ただ、4つ全部をテーブルに並べて「今月は2でいく」と意識的に選ぶのと、ズルズル2に流されているのとでは、精神状態が全く違う。選んでいる感覚は人を回復させる。
2と3の詳しい話は愛情のない夫婦でもやっていけるのかという記事に書きました。
ひとつだけ注意点
「何も感じない」が妻だけでなく、仕事も趣味も食事も全部に広がっているなら、それは夫婦の問題ではなくて心身の不調(抑うつ)の可能性があります。その場合に必要なのは夫婦の話し合いではなく受診です。自分も一時期怪しかったので、これだけは書いておきます。
妻を愛せないことは、あなたの人格の欠陥ではない。ただの状態です。状態なら、観察できるし、運用も変えられる。少なくとも、深夜2時に天井を見ながら自分を責める仕事だけは、今日で辞めていいと思います。
よくある質問
妻を愛せない自分は異常?
異常ではありません。この悩みは昔から多くの夫が抱えていて、恋愛感情が薄れて妻が「家族」になる家族化は自然に起こります。愛情が湧かないこと自体は過失ではありません。
妻への愛情は戻る?
待つだけで戻った例はほぼ見当たりません。接触時間を増やすと敵意や気まずさは減りますが、恋愛感情そのものが戻るとは限らず、戻らない前提を外すほうが楽になります。
妻を愛せないなら離婚すべき?
「愛せない=離婚」ではありません。回復を目指す・保留のまま共同体として運営する・距離を取る・離婚準備の4つの選択肢を並べ、意識的に選ぶことが精神的に効きます。