妻への愛情は戻るのか。冷めて3年の夫が「戻った人・戻らなかった人」を調べて分かったこと
「妻への愛情 冷めた 戻る」。この検索ワードを打ったことがある人は、たぶん2種類の答えを探している。「戻るから安心しろ」か「戻らないから決断しろ」か。
先に言うと、どちらの記事もネット上にほぼ無い。出てくるのは「夫に冷められた妻がやるべきこと」と、探偵事務所と離婚サービスの広告ばかり。冷めた側の夫が「この気持ちは戻るのか?」と聞いているのに、誰も答えていない。
自分は結婚6年目で冷めて、今9年目。完全に戻ったとは言えないが、ゼロでもない、という中間地点にいる。この記事では、知恵袋や書籍で「戻った」「戻らなかった」と報告している例を漁って見えた共通点と、自分で試した結果を書きます。
「戻った」報告に共通していたこと
知恵袋に「一度冷めてしまった妻への愛情が、何かをきっかけにまた戻った方はいらっしゃいますか」という質問がある。ここの回答や類似の相談を読み込んで気づいたのは、戻った報告には型があるということ。
型1: 喪失の予感で戻る
妻の入院、事故、離婚話が現実になった瞬間など、「いなくなるかもしれない」と本気で感じたときに感情が再起動するパターン。一番多い。
人間は持っているものの価値を失いかけるまで計算しない生き物らしい。ただ、これを意図的に起こすことはできない(し、起こそうとするべきでもない)。
型2: 相手が「他人」に見えた瞬間に戻る
妻が仕事で評価されている姿、友人と笑っている姿、自分の知らない一面を見たときに「あれ?」となるパターン。家庭内の役割(母親・家事の人)としてしか見ていなかった相手が、一人の人間として見えた瞬間。
これは意図的に近づける。後述します。
型3: 自分側の回復で戻る
激務が終わった、転職した、体調が戻った、で気持ちも戻ったパターン。冷めの原因が妻ではなく自分の消耗だったケース。
妻を愛せない記事にも書いたが、何も感じないのが妻限定ではなく生活全般なら、先に疑うべきは夫婦関係ではなく自分の心身です。
「戻らなかった」報告に共通していたこと
逆に、戻らなかった・離婚に至った報告の共通点。
- 軽蔑や恨みが混ざっていた(「冷めた」ではなくすでに「嫌い」だった)
- 冷めた状態のまま、相手への要求だけ続けていた
- 外に比較対象や恋愛対象を作っていた
- 「戻す努力」を相手に期待していた(自分は審査員ポジション)
冷めた感情そのものより、冷めた後の過ごし方で分岐している印象が強い。「冷めた」は出発点であって、判決ではない。
夫側から試せること。うちの結果
戻った型のうち、再現可能なのは型2(他人として見る)と型3(自分の回復)なので、その線で試したことを書く。
妻が「妻役」以外でいる時間を作る。 月1回、自分が子どもを連れ出して妻を完全にフリーにする取り組みは倦怠期の記事に書いた。数ヶ月続けた頃、友人とライブに行って帰ってきた妻が興奮気味にセットリストの話をしてきて、そのときの顔が「家の人」ではなかった。愛情が戻ったとは言わないが、「この人はこういう顔をする人だった」という記憶は戻った。型2はたぶんこういう小さい単位で起きる。
自分の消耗を先に直す。 睡眠を削っていた時期は、妻どころか何にも感情が動かなかった。寝る時間を確保しただけで、家庭内のイライラの総量が減った。情けない話だが、愛情の問題だと思っていたものの一部はただの睡眠不足だった。
「戻す」を目標にしない。 矛盾するようだが、これが一番効いた。「愛情を戻すために月1回フリーにする」と思っていた間は、見返り待ちになって疲れた。「共同体の運営改善としてやる。感情が戻ったらボーナス」と位置づけ直したら続くようになった。感情は目標にすると逃げる。
戻らなかったら詰みなのか
ここが一番書きたかったところです。
「戻るか戻らないか」の二択で考えていた頃が、精神的には一番きつかった。戻る=ハッピーエンド、戻らない=離婚、という前提だったから。
実際には中間に「愛情は薄いまま、敵意なく共同体として運営する」という広大な土地があって、今のうちはそこに住んでいる。詳しくは愛情のない夫婦の記事に書いたが、戻らなくても詰まない設計は可能でした。
むしろ設計して楽になってから、関係が少し柔らかくなった。「戻さなければ」という圧が、お互いをぎこちなくさせていたのかもしれない。
まとめない、まとめ
愛情は戻るのか。観察結果はこうです。
- 戻ることはある。ただし「待っていたら戻った」例はほぼ無い
- 分岐点は感情そのものではなく、冷めた後の行動
- 軽蔑が混ざる前なら、打てる手はまだ多い
- 戻らなくても、詰まない
3年前の自分に言うなら、「戻るかどうかを毎晩天井に問うのをやめて、寝ろ。そして月1回、妻を外に出せ」ですね。