結婚記念日がめんどくさい。冷めた夫の本音と、やめる代わりにやったこと

カレンダーの来月のところに結婚記念日が見えた瞬間、ため息が出る。あの感覚の話をします。

冷めていた時期、記念日は一年で一番の「演技の山場」だった。店を予約し、プレゼントを選び、おめでとうと言い合う。気持ちが乗っていないのに、形式だけが等身大で要求される。妻を愛せない記事に書いた演技疲れの、年に一度の決算日。

「結婚記念日 めんどくさい」と検索すると、出てくるのは「夫が記念日を忘れて許せない」という妻側の記事ばかり。めんどくさいと感じている側の本音と、その扱い方を書いた記事が見当たらないので、これを書きます。

めんどくさいのは「記念日」ではなかった

最初に整理しておくと、めんどくささの正体は日付そのものではない。分解するとこうだった。

つまりめんどくさいのは記念日ではなく、記念日に要求される演技の量だった。ここを混同して「記念日なんて無意味だ」と制度のせいにしていた時期は、何も解決しなかった。

黙ってフェードアウトは、一番損だった

冷めて2年目、自分は記念日を「うっかり忘れたふり」でスキップしようとしたことがある。結果から言うと、これは最悪手だった。

妻は日付を覚えていて、当日は何も言わず、数週間後の喧嘩で「記念日も忘れてたよね」が登場した。スキップしたつもりが、「私はもう大事にされていない」という証拠品を渡しただけだった。祝うコストより、忘れた(ことにした)コストのほうが、利子つきで高かった。

ありがとうが言えなかった話と同じ構造で、こちらの「省略」は、相手側では「不在の通知」として受信される。無言のフェードアウトは中立ではない。

うちで落ち着いた形: 縮小して、固定する

試行錯誤の末、うちの記念日は今こうなっている。

「外食1回、プレゼントなし、子ども込み」で固定。 妻と直接すり合わせた。切り出し方は「記念日、毎年どうするか考えるのが大変だから、型を決めない?」。気持ちが冷めたからとは言っていないが、嘘もついていない。実際、決めるのが大変だったのは事実なので。

固定したことで、3つのめんどくささが全部軽くなった。形式が決まっているから気持ちとのギャップを埋める演技が最小で済む。型どおりやれば採点もない。毎年同じだから比較もインフレもない。

意外だったのは、妻がこの提案にあっさり乗ったこと。後から分かったが、向こうも「ちゃんと祝われているか」を毎年測定する側で疲れていたらしい。記念日のプレッシャーは、たぶん両側にかかっている。

「祝う気持ちがないのに祝うのは不誠実」問題

この手の話をすると、「気持ちがないなら祝うほうが嘘では」という声が(自分の中からも)出る。

いまの自分の整理はこうだ。記念日は愛情の測定日ではなく、共同体のメンテナンス日。会社の創立記念日に愛社精神がなくても式典はやるのと同じで、組織の節目を確認する行事だと思えば、気持ちの在庫と関係なく実施できる。愛情のない夫婦の記事に書いた「共同体として本気で運営する」の年次版です。

それに、縮小して固定した記念日の外食は、演技の山場でなくなったぶん、普通にただの外食として悪くない時間になった。気負いが消えると、皮肉なことに会話は増える。

やめたくなっている人へ

記念日を完全にやめる選択もあると思う。ただ、やめるなら無言のフェードアウトではなく、合意でやめること。これだけは経験から強く言っておきたい。「お互い負担だからやめよう」と口に出して合意した廃止と、黙って消した廃止は、相手の受け取りがまったく違う。

そして、記念日のため息が「記念日だけ」でなく日常全体に広がっているなら、それは記念日の問題ではなく倦怠期がどの段階まで来ているかの問題なので、見るべき場所が違います。


記念日がめんどくさいのは、薄情だからではなく、気持ちの残高と形式の請求額が合っていないだけ。請求額のほうを下げる交渉は、思っているより普通に成立します。うちは縮小固定で4年、いまのところ滞りなく運用中です。