妻に「ありがとう」が言えなくなっていた。感謝を事務連絡に変えたら言えた話
弁当を作ってもらって、無言で受け取る。洗濯された服を、無言で着る。やってもらっていることは認識している。感謝もしている。なのに「ありがとう」の4文字が、なぜか出ない。
うちの倦怠期が深かった時期、自分はこれだった。そして妻の側も同じだった。ゴミ出しも送迎も、互いに無言で消化される。感謝の不在は喧嘩にはならない。ならないまま、家の空気だけが少しずつ硬くなっていく。
なぜ言えないのか。自分の場合の解剖
「ありがとうを言いましょう」という記事は世の中に腐るほどあるが、「なぜ言えなくなるのか」を掘った記事は見たことがない。言えない理由を自分なりに解剖したら、3つ出てきた。
1. 言うと「負け」な気がする。 冷戦状態の夫婦では、感謝の言葉が譲歩のシグナルに化ける。先に礼を言ったほうが、相手の不機嫌や過去の一件を「許した」ことになる気がする。バカバカしいが、当時は本気でこの計算をしていた。
2. 「当たり前」の側に分類してしまった。 結婚9年もやっていると、弁当も洗濯も家計の分担も「制度」になる。制度に礼は言わない。会社で給与振込に毎月感謝しないのと同じ理屈で、家庭内の労働が感謝の対象から外れていく。
3. 今さら感。 数年言っていないものを急に言うと、不気味がられる。「何かやましいことでもあるのか」と思われるのが怖くて、言わない現状維持を選ぶ。言わない期間が長いほど、再開のハードルは上がる。
書き出してみると、どれも感謝の量の問題ではなく、プライドと慣性の問題だった。
「気持ちを伝える」のをやめたら言えた
転機は、愛情のない夫婦の運用ルールを決めたときに「感謝と謝罪だけは口に出す」を制度に入れたことだった。
ポイントは、これを愛情表現ではなく事務連絡として定義したこと。「ありがとう」を、気持ちのこもったメッセージではなく、家庭という組織の確認応答(受領しました、の意)に格下げした。
格下げ、と書いたが、これが効いた。気持ちを乗せようとするから照れるし、負けた気がするし、今さら感が出る。事務なら言える。弁当を受け取ったら「ありがとう」、ゴミを出してくれたら「ありがとう」。声のトーンは業務でいい。
不気味がられる問題は、正直に種明かしして回避した。「最近お互い無言だから、ありがとうだけは言うようにする」と宣言したのだ。宣言してしまえば、翌日から言っても不自然ではない。
続けて分かったこと
3カ月ほど運用して、想定外のことが2つあった。
ひとつは、妻も言うようになったこと。こちらが事務的にでも言い続けると、相手も返すようになる。感謝はどうやら非対称のまま長くは続かない。
もうひとつは、事務のつもりで言っていた「ありがとう」に、たまに本物が混ざるようになったこと。土砂降りの日に駅まで迎えに来てもらったときの「ありがとう」は、事務ではなかった。形から入った感謝は、空っぽのまま終わらないらしい。先に形ができていると、本物が発生したときの通り道になる。
妻へのイライラの記事で「無言の期待は存在しないのと同じ」と書いたが、感謝も同じだった。心の中の感謝は、相手にとっては存在しない。
言えない側から言われる側を見ると
ひとつ付け加えると、この問題はたぶん妻側から先に検索されている。「夫 ありがとう 言わない」で調べると、妻向けの不満記事が大量に出てくる。つまり、こちらが「言えない」でいる間、向こうでは「言われない」が蓄積している。
言えない理由が上の3つ(プライド・当たり前化・今さら感)なら、コストはほぼゼロで外せる。外し方は、気持ちを込めることではなく、込めなくていいルールにすること。逆説的だが、うちではそれが正解だった。
「ありがとうを言いましょう」という正論が役に立たないのは、言えない理由に触れていないからだと思う。言えないのは冷たいからではなく、照れと計算が邪魔しているだけ。なら、照れも計算も不要な形式に変えてしまえばいい。4文字の事務連絡から、うちの空気は少しだけ柔らかくなりました。