妻を抱きたいと思わなくなった。求められない側のしんどさも込みで、正直に書く

ある夜、隣で眠っている妻を見て、何も湧いてこないことに気づいた。

嫌いになったわけじゃないし、喧嘩しているわけでもない。ただ、女性として手を伸ばす理由が、自分の中から無くなっていた。いつからかは思い出せない。気づいたときには、もうそうなっていた。

「妻を抱きたいと思わない」で検索すると、出てくるのは医師の解説か、夫婦カウンセリングや何かの宣伝記事ばかりだった。仕組みや治療法は書いてある。でも、いま自分が感じているこの後ろめたさと、もっと厄介なもう一つのしんどさについて、正面から書いている記事が見当たらない。だからこれは、当事者の自分が書きます。きれいごとは無しで。

しんどいのは「求めない自分」だけじゃなかった

最初は、求めなくなった自分を責めていた。妻は何も悪くないのに、夫として欠陥があるんじゃないか、と。

でも、本当にこたえたのはそこじゃなかった。ある時期に気づいてしまった。求めなくなったのは自分だけじゃない。妻のほうも、とっくに自分を求めていない。

これが、想像していたよりずっと重かった。自分が求めない罪悪感は、まだ自分の問題として抱えられる。けれど「相手からも、男として見られていない」という事実は、抱えようがない。拒まれたわけですらない。そもそも、その空気自体がもう無い。誰のせいでもないぶん、どこにもぶつけられなかった。

たぶん同じところでつまずいている人は少なくないと思う。セックスレスの記事は「どう解消するか」ばかりだけれど、その手前にある「求めてもいないし、求められてもいない」という二重の静けさのほうが、よっぽど人を削る。

しんどさを分けてみた

漠然と「つらい」と抱えていても進まないので、中身を分けてみた。自分の場合はこの3つだった。

ひとつは、罪悪感。妻を大事にしていないわけじゃないのに、その気持ちが湧かないことへの後ろめたさ。

ふたつめは、自己否定。求められていないと感じると、夫として、男として、価値がないように思えてくる。仕事や子育てがうまくいっていても、ここが空っぽだと、土台が抜けたような感覚になる。

みっつめは、言い出せなさ。この話は、誰にも相談できない。友人にも言えないし、当の妻にはなおさら切り出せない。沈黙が長いほど、再開のハードルだけが上がっていく。

分けてみて分かったのは、これは性欲の量の問題じゃなくて、ほとんど自己評価と関係性の問題だということだった。だから「精力をつける」みたいな方向では、たぶん何も変わらない。

一度だけ、頼んでみた

何もしなかったわけじゃない。一度だけ、雰囲気を変えられないかと妻に頼んだことがある。具体的な提案も、勇気を出して添えて。

やんわり断られた。責められたわけでも、怒られたわけでもない。ただ、その「やんわり」が、かえってこたえた。それ以来、こちらから言い出せなくなった。

今になって思うのは、あの頼み方は順番が違ったのかもしれない、ということ。いきなり行為の話を持ち出す前に、もっと手前の距離を戻すべきだったんだろう。でも当時はそこまで頭が回らなかった。焦っていたんだと思う。

もう一つ、当時の自分に足りなかったのは「お互い」の視点だった。あのときは「自分が求めて、相手が断る」という一方通行の構図でしか考えていなかった。実際には妻のほうも同じだけ求めていなかったわけで、断られたことに勝手に傷ついていたのは、自分がまだ「求めているのは自分だけ」という前提を捨てられていなかったからだと思う。お互い様だと分かってから振り返ると、あの「やんわり」は拒絶ではなく、向こうも同じ場所にいただけだったんだろう。

正直に書くと、今も解決していない

ここで「こうしたら戻りました」と書ければ記事としては収まりがいい。でも嘘になる。うちは今もセックスレスのままだ。

その代わり、と言っていいのか分からないが、別の部分は少し動いた。会話を増やす地味な工夫(倦怠期の記事に書いた)で、家の空気そのものは軽くなった。レスは続いているのに、敵意や気まずさは減った。完全な解決ではないけれど、止まったまま冷えていくよりはずっとましだ。

セックスレスを「夫婦の終わり」と直結させる記事は多いけれど、自分の実感はもう少し複雑で、レスのまま敵意なく続いている夫婦というのは普通に存在する。それがいいことかどうかは別として、事実としてそうだ(このあたりは愛情のない夫婦でもやっていけるのかの記事に詳しく書いた)。

いま選択肢として見えているもの

解決していない人間が書くので、これは「正解」ではなく「自分が考えている範囲」です。

体の不調が疑わしいなら、まず医療。性欲の急な落ち込みは、ホルモンや服用中の薬の影響など、体の側に原因があることもあるらしい。そこは素人判断せず、泌尿器科などの専門家に診てもらう領域だと思っている。

関係の問題なら、二人だけだと必ず脱線するので、第三者を一度入れる手がある。夫婦カウンセリングについては行きたくない側として調べた記事に書いたが、「解消するため」より「この状態とどう付き合うか整理するため」に使う発想なら、自分にはまだ現実味がある。

そして、急がないこと。妻を愛せないと感じるしんどさの記事にも書いたけれど、「戻さなければ」と力むほど、お互いぎこちなくなる。焦りは、たぶん一番効かない。


妻を抱きたいと思わなくなったことは、人間としての欠陥ではない。そして、相手から求められていないと気づくしんどさは、あなたが弱いからでもない。少なくとも、同じ場所で黙って削られている夫は、たぶんあなたが思っているより多い。解決法はまだ自分も持っていないけれど、「これを感じているのは自分だけじゃない」と思えるだけで、夜の重さは少し変わる。そのために、隠さず書きました。