家族で過ごす休日がつまらない。罪悪感を持つ夫は俺だけじゃないはず

日曜の夕方、サザエさんの時間に憂鬱になる人は多い。うちは逆で、土曜の朝が一番憂鬱だった。

家族がいて、健康で、天気のいい土曜日。それなのに、ショッピングモールの駐車場の列に並びながら「早く月曜にならないか」と考えている。そして例によって罪悪感が来る。「家族との時間を楽しめない俺は、父親として欠陥品なのか」。

この感覚、検索しても出てくるのは「家族サービスを楽しむコツ」みたいな前向き記事ばかりで、つまらないと感じている夫の側から書かれたものがない。書きます。

「家族の休日」がつまらなくなる構造

分解すると、うちの休日は誰のためでもない設計になっていた。

つまらないのは家族が嫌いだからではなく、自分の意思が一滴も入っていない一日だからだった。仕事なら誰でも嫌になる案件です。これに気づいてから、罪悪感はだいぶ減った。父親としての欠陥ではなく、設計の欠陥。

やめたこと

「全員で一日中」をやめた

家族の休日=全員が朝から晩まで一緒、という前提を捨てた。うちの現在の型はこう。

「家族全員の時間」は半日に圧縮したら、むしろ質が上がった。一日中だと全員の電池が切れて、夕方には誰かが不機嫌になっていた。

「子どもが楽しければいい」をやめた

子ども最優先の行き先選びを、月に1回だけ「大人の行きたい場所に子どもを連れて行く」に逆転させた。自分の場合は好きだった山歩きの超簡易版。子どもは案外ついてくるし、親が楽しそうにしているものに興味を持つ。何より、自分の意思が入った瞬間に休日が「消化」から「自分の一日」に変わる。

モールをやめた…は嘘で、減らした

モールには機能がある(雨・買い物・授乳室)。ただ「他に思いつかないからモール」を月4からゼロ寄りに減らしただけで、休日の手触りが変わった。行き先の在庫切れは、会話の在庫切れと同じで、補充しないと同じところを回り続ける。

「夫婦の時間」としての休日

ここまでは父親としての休日の話で、夫としての休日の話を少しだけ。

休日がつまらない問題と、妻と二人の時間が気まずい問題は、根っこでつながっている。全員行動は、実は気まずさの回避にも使える。子どもをバッファにすれば妻と一対一にならずに済むから。自分はこれを無自覚にやっていた。

気づいたきっかけは、子どもが二人とも昼寝した日曜の午後、リビングが例の「無音」になったこと。子どもがいる休日がつまらないのではなく、子どもがいない時間が怖いのが先にあった。ここから先は倦怠期会話がない記事に書いた話になるので譲るが、休日の設計をいくら変えても、ここを放置すると数年後にもっと大きい請求が来る(子どもはあと10年で出ていくので)。

罪悪感への答え

家族との休日がつまらないと感じる自分は欠陥品なのか。

3年運用した答えは「つまらない設計の休日をつまらないと感じるのは、正常なセンサー」です。イライラの記事でも書いたが、感情は罪ではなく信号。信号を握りつぶして「楽しいフリ」を続けるほうが、長期的には高くつく。演技の限界は自分で経験済みです。

土曜の朝が憂鬱な人は、まず来週の休日に「自分の意思」を一つだけ入れてみてください。行き先でも、半日の分割でも、コーヒー屋の新規開拓でもいい。一滴で味が変わるのは、実証済みです。